予感が幻でありませんように

2014年06月05日

今日は中二の授業でした。

期末テストを意識して英語に加えて国語も短歌の解説を延長授業でしました。近代短歌です。

正岡子規、与謝野晶子、斎藤茂吉、北原白秋・・・そして寺山修司、俵万智。明治から現代にかけての歌人の歌を四〇分ほどで大急ぎで解説しました。どの歌人もその時代において革新的で独自の問題意識を持つ「巨人」ばかりです。そして、それぞれの歌にはその歌が優れている「理由」があります。

散文と違って韻文は音読したときの語感やリズム、例えば口語か文語か、定型か破調か、など、内容よりむしろ感覚的な部分に大きな魅力がある文学ジャンルです。本来ならもっと時間をかけて読み味わうべきものなのですが、定期テストで得点するのが目的ということになるとポイントだけ暗記してもらうことになってしまいます。

教えながらこの点に心苦しい思いをします。無味乾燥な知識にできるだけならないようにするには、大量の情報を話すことになってしまい、生徒たちはきっとしんどがるだろうなと思っていたのですが、なかなか真剣に興味を持って聞いてくれました。

こういうとき、授業しながら僕は生徒の心意気にある意味、敬意を抱いています。僕も生徒たちから学んでいるんですよ、人の誠実さや前向きな生き方を。

まだ一学期も終わっていませんが、今年度の中二学年、いい学年になる予感がしています。

そのためには成績が具体的に上がらなければならないのですが。

できるだけ「ためになる授業」をしたいと改めて思う日でした。